福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)489号 判決
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【判旨】
一控訴人は、昭和三八年八月二〇日入江(旧姓吉良)ヒロ子と婚姻し、昭和五二年六月三日に調停離婚したこと、被控訴人は、控訴人と婚姻中であつたヒロ子と、人妻であることを知りながら情交したこと、以上の事実は当事者間に争いがないところ、<証拠>を総合すると、(一)控訴人とヒロ子は、両名の親が三五教の信者であつた関係で知合い、昭和三八年一月七日事実上の結婚をしたものであるが、控訴人は、結婚当時より三五教の道場講師として奉仕活動に従事し、家には一か月に一度位帰り、一日ないし三日位家に居たのち、また奉仕活動に出かける生活をしていたこと、(二)ヒロ子は、昭和三九年一月一九日に長男大一郎を出産したが同居中の控訴人の母との折合いが悪かつたため、同年五月ころ他に引越して右義母と別居し、一方、控訴人は、その間も結婚当初からの三五教の奉仕活動を続けて家に居ることが少なかつたが、昭和四一年六月ころに至つてこれを中止し、タクシー運転手の仕事に従事したため、ヒロ子は、以前と異なり控訴人と共に経済的にも落着いた家庭生活を送るようになり、昭和四五年一一月一六日には次男保男を出産したこと、(三)控訴人は、昭和四八年一二月ころから約一年間再び三五教の奉仕活動を続けた後、タクシー運転手として働いていたが、昭和五一年五月ころ、子供の世話にもあまり手がかからなくなつたヒロ子は、小林産業有限会社にパートタイマーとして共働きをするようになつたこと、(四)それまで、ヒロ子は、控訴人のいたわりの少なさ等に内心では不満を感じながらも、控訴人と平穏な家庭生活を送つていたものであるが、やがて、ヒロ子は、右会社で知合つた上司の被控訴人から残業で遅くなつた際に車で送つて貰つたりしているうちに、同人と親しくなり、廻り道をして被控訴人と食事をしたり、ドライブをしたりして夜遅く帰宅するようになつたため、控訴人との間にいざこざが絶えなくなたこと、(五)ヒロ子は、同年九月ころには遂に被控訴人と肉体関係を持つに至つたが、ヒロ子と被控訴人の親しい関係を知つた控訴人は、ヒロ子及び被控訴人にその交際を断つよう説得する一方、ヒロ子に小林産業有限会社で働くのをやめさせたりしたが、その後も、両名は、互いに別れることを控訴人に約束しておきながら、電話で連絡をとつたりして逢瀬を重ね、そのため控訴人とヒロ子との間の夫婦関係は破綻に瀕するに至つたものであること、(六)その間、控訴人は、福岡家庭裁判所八女支部に第一回目の夫婦関係調整の調停を申出たり、また、ヒロ子の不義を知つたヒロ子の肉親達も、ヒロ子を一時実家に帰らせ、ヒロ子に対し、被控訴人との関係を断つように強く説得したりする等の努力を重ねた結果、一旦は控訴人とヒロ子の夫婦関係はうまく行くかに見えたが、ヒロ子は、昭和五二年三月、家財等を持出して控訴人の許を飛出し、被控訴人がそのころ借りたアパートに入居して生活をするようになり、以後右アパートのヒロ子の所に被控訴人が泊つたりするようになつたこと、(七)そのため、これまでヒロ子と正常な夫婦関係を回復し、その継続を望んでいた控訴人も、このような事態に至つてヒロ子と別れることを決意し、同年五月二日ヒロ子を相手どつて福岡家庭裁判所八女支部に二回目の夫婦関係調整の調停を申立て、その結果同年六月三日離婚の調停が成立し、長男大一郎の親権者には控訴人が、次男保男の親権者にはヒロ子が定まり、それぞれ子供一人づつを引取つて養育することとなつたほか、ヒロ子は、控訴人に対し、慰藉料として金五〇万円を同年七月から昭和五六年八月まで毎月一万円宛五〇回に亘り支払うこととなつたこと、(八)昭和五二年九月中旬ころ当時の妻と別居するようになつた被控訴人は、やがてヒロ子と同居するようになり、妻と離婚後昭和五三年八月一六日ヒロ子と結婚し、ヒロ子が引取つた次男保男を被控訴人の養子として迎え入れて養育し、また、ヒロ子の控訴人に対する慰藉料の支払も被控訴人の毎月の給料の手取り約金一五万円余りの中から支払つていること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実からすると、被控訴人は、控訴人と婚姻中のヒロ子と情交関係を持つことにより、ヒロ子の控訴人に対する不貞行為に加担し、これによつて控訴人とヒロ子との婚姻関係を破綻させ、控訴人に多大の精神的苦痛を与えたものというべきであるから、不法行為者として控訴人に慰藉料支払義務を負うことは明らかであるところ、控訴人の受けた右苦痛を慰藉すべき金額は、右事実等本件における諸般の事情を斟酌して金六〇万円と認めるのが相当である。
(斎藤次郎 原政俊 寒竹剛)